今度はペルー編です。
サンパウロからペルーの首都リマまでの飛行機の中からずっと
ペルーにいる間は金縛りに悩まされました。
自分の霊的な体質のためにお寺さんで修行したりご真言を覚えているので金縛りには、不動明王のご真言で対処していました。
リマに着いて最初の宿は宿沖縄という沖縄出身の方が経営する宿でした。
ここでやっと、一人で眠っていたら強烈な金縛りがしばらく続いて、解けた安心感でトイレの方に歩こうと部屋の電気をつけても電気がつきません。そしてドアを開けたところにあるヒューズが飛んでいて、床には割れた電球の破片がたくさんあって、「海外は靴を履くから足の裏が血まみれにならなくて良かった」と思いました。翌日からはドミトリーの方で寝ました。
リマについた頃には、肺炎になっていたのでスペイン語で症状を書いてもらって、近くの薬屋さんに持っていき処方された薬でなんとか完治しました。
旧市街地に宿はあったのですが、国会議事堂があるためなのか、さっきまで中華料理を食べていたのに、宿に戻ると外は騒然としていて騎馬隊がうろうろしていてびっくりでした!
フジモリ大統領のときだったと思いますが、抗争がしょっちゅうあるようでした。
宿で仲良くなった友達と新市街地にある遺跡を観光していたら、なんと!常陸宮様(ひたちのみや)に遭遇!!ガイドさんが「今日、日本から大統領来るよ」と上手な日本語で話していたけど「日本には大統領おらんよ、総理大臣ならいるけど」なんてぼやいてたっけ・・・🤣
眼の前で常陸宮さまをお見かけしましたが平成天皇と瓜二つでした。
リマには黒いケンタッキーフライドチキンのお店があったり、タラポトという街に行くための長距離バスのチケットを買う、往復で鼻の穴が真っ黒になりました。そうなんです!ガソリン車をディーゼル車に改造しているので、大気中にはディーゼルの排気ガスが充満していたのです。
ペルー北部の方角にある、タラポトという街のドクトルゴンザーレスさんに会うために飛行機に乗りました。なんと3時間遅れです。海外あるあるですね✈
タラポトにつく頃には真っ暗でした。地球の歩き方にも載っていない街で、こんにちはすら言えないのに、頑張ったなと我ながら自分を褒め称えたいです。
トゥクトゥクに乗ってドクトルゴンザーレスさんに無事にお会いできて
セレモニーの代金や多くて週2回しかセレモニーを受けれないことを聞き、折角来てしまったのだからセレモニーをお願いし、宿は情報もなかったので、ドクトルゴンザーレスさんに紹介してもらった、Hostal Falconという宿へお世話になることになりました。
この宿では本当にどれほど感謝しても伝えきれないほど、良くしていただきました。
まず、オーナーが英語が大嫌いということで全く英会話はできません。
ただ、「ここ(here)がアキーということと、Canbio(Exchange=両替)というのだけ知っていただけでよくここで一ヶ月も滞在できたなと思います。
まず暇があると、メルカドへ行っては食材を買い込んで厨房を借りて自炊してました。暇さえあれば厨房に行ってコミュニケーションを取っていました。
箸の絵を書いて「これは何て言うんだ?」と聞かれたので「Hashi」と教えたり
一緒にTV見ながら食事用のナプキンを畳んだり、スプーン・フォークを包んだりして徐々にオーナーやスタッフと仲良くなっていきました。
セレモニーではフェニックス(火の鳥)に乗って飛翔するシーンを見たり、ナスカの地上絵が何故どうやって出来たかのかビジョンで教えられました。観光は二の次でアヤワスカのためだけに南米に来たので、観光したような気分でした。またあるときは、トラウマが全開になって朝から引き付けを起こすほど涙が止まらず泣きっぱなしだったので、女性スタッフが手を握ってくれるのですが、鼻が詰まって呼吸も苦しかったのを見てられないようでもらい泣きしながら離れていきました。
その女性スタッフとは仲良しだったので、昼休憩に実家に呼んでもらえて、娘さんやご家族と会いました。ペルーではモルモットを貴重なタンパク質をとるために飼育して食べていました。その家では豚と鶏もいました。
娘さんが「いつき なおみ」と名乗るので、日本の演歌をTVで見るんだなと思いました。将来は歌手を目指してると言って歌ったり踊ったり、絵本を読んでと頼まれたりでした。裸電球一個の生活でした。
セレモニーのない日はドクトルゴンザーレスの車で助手くんと3人、タラポトの見どころを観光案内してもらえました。美しい思い出です❤
タラポトの街を出る前日は、腰痛にせんねん灸で対処していたのですけど、シーツに焦げ目がついてしまって、タバコって指摘されましたがNO!NO!と腰をさすると、見送りに来た女性スタッフの家族とその友人のご家族まで来てくれて、涙のお別れでした。
そして会計をするときに、食費に斜めの線、宿泊費も斜めの線・・・?
要するに、宿泊食事代は無料にしてもらえて、TAX(税金)だけ払ってと言われてオーナーは嬉しそうに両手でパンパン👏👏していました。
もう頭が上がりません。こんなに良くしてもらえて・・・。
ブラジルでも思ったのですが、アヤワスカというキーワードで知り合った人たちの、「見返りのない助け合い」が何よりも私にとっては奇跡でした。
アヤワスカの経験も奇跡でしたが、その当時のわたしはあまりにも優しい人に出会ってなかったんだと思います。南米にいる間にしょっちゅう嬉し泣きしていました。
タラポトからシャーマンだらけのサンフランシスコ村に行くためにプカルパ行きのバスに乗ったのですが、24時間かかると聞いていたのにパンクやブレーキオイル漏れなどトラブル多発で36時間もかかってしまいました🤣
ここでもダウン症のお子さんと出会いました。南米で出会う確率が高かったです。
車やバイクが趣味な私はどうやって修理するのか興味津々で手伝えることはやってました。
休憩って言われても草むらで乗客同士用を足すというのにはびっくりしましたけど😂
橋が崩落しているところは、先に橋を歩いて渡り、バスはなんとイカダで川を超えるのですよ!!
もうひとつ橋が崩落している川はバスごと突っ込んで対岸まで渡るという驚愕な行為を🤣後ろの座席の人にゼスチャーでカメラで動画を撮れと言われたっけ。
夜分にプカルパに到着してすぐリマの宿でメモしてきた宿へトゥクトゥクで行きました。
泊まった宿はなにか悪いものが居そうな雰囲気で怖かったですが、寝るだけだと割り切って眠りました。
朝起きると隣の部屋から口笛がするので、誰だろうと見に行くとアメリカ人で、昨日までサンフランシスコ村のスイピーノにいてアヤワスカ体験したんだ!この絵は見たビジョンだよ!と絵を見せてもらいました。
そしてサンフランシスコ村のスイピーノに行くなら案内してあげるよと言ってなんと自腹で自分の分の交通費を払って私の荷物まで運んでくれてました。
申し訳ないやら有り難いやら、日本にいるとここまで親切な方はめったにいないので、見返りのない助け合いに感動でした♬
スイピーノには猿と妊娠している犬とイグアナに遭遇しました。
さすがジャングルです。電気・ガスはない、風呂は水シャワーです。
夜はキャンドルの明かりで蚊帳に入り本を読んでました。
自然ということは不便ということ、つまり便利ということは不自然なんだというのが大きな気付きでした。
色々あって、シャーマンともお別れしリマまでの長距離バスでプカルパを離れるにつれ、黒魔術や集団催眠が解けていくのを感じました。
疑うということが足らない私は善意にとらえていたことも、実際は悪意であったり騙しであったりでした。
リマの宿もまた「Hostal Sanfrancisco」!もうサンフランシスコはええわ!と思いましたが、ここで出会った日本人たちには本当に心が救われてリマの中心街を一緒に巡ったり、お別れのときなどは、全員で見送ってくれたりで日本人も素敵じゃないか!と思えました。
アヤワスカ目的で南米へ行きましたが、私が本当に望んでいたことは
真心のある温かい交流
だと旅してる途中で気づけたことでした!
シャーマンの自宅にお呼ばれしてお世話になったり、タラポトの宿のみんなへ
船便でお礼を送りました。
長文、読んでくださってありがとうございました。
次は北米編になります。




